明日の照り焼き

日々のこととか趣味のこととか

浮いている

冬は文章を書きたくなる。外に出るのでなく自分の内側に、内側に、潜り込んでしまうからか、それとも冬の汗のようにじんわりと染み出して来るのだろうか。肌を指すような寒さは外出を控えさせ、短い日照時間は心を薄暗くする。子供の頃、霜の降りた土を蹴ったガリガリとした感覚も今となっては遠い記憶に成り果てて実感は伴わない。雪が降る予報に心が踊らなくなったのは高校生か大学生の頃からか。外遊びなんてものとは縁がなくなって、交通機関が生活に密接な関わりを持つようになってからはただ迷惑なものになってしまった。そんな変化は仕方がないものだが、少し寂しいな・と天井を見上げながら独りごちてしまう。

今日も浮かんでいる。地に足がついた感じがしない。なんとなく世界に溶け込めずに、なんとなく漂っている。

休日

年明け最初の週末が三連休というのはありがたい。僕の仕事は基本暦通りだから三が日が終われば仕事が始まるので4日から働いていた。二日間働いてまた三日も休めるというのは年明けの慣らし運転にちょうどいい。そんな連休で何か特別なことをしたかと言われると別に何もしていない。年末に会えなかった学生時代の友人と会ったことくらいで、後は寝て過ごしたり風呂の排水溝の掃除をしたくらいだ。年末年始は家族で里帰りをしたりと忙しかったから年始最初の土日(祝日もあるが)くらいはゆったり過ごしてもバチは当たらないだろう。

しかし、年末から休みの日は人と会う予定が多かったから少し寂しさを感じなくもない。家族・友人・職場の同僚、何らかの関係性を持つ人間と話すことが全くないのは些か物足りない・気がする。ただ、そんなふうに寂しさを感じられるのは日々人との関係性の中で生きられているということだと思う。人の間のしがらみなんて以前は面倒で、辛くて、できる限り関わり合いになりたくなかったけど、今は少し違う。もちろん一人の時間全部が嫌になったわけではない。けど、人と関係性を持ちたいとまた思えるようになった自分のことは割と嫌いじゃない。人に生かされている・人と生きている・なんて、少し考えればわかることがまた見えるようになったのはきっと前進だ。

年の瀬

気づけば年の瀬になっていた。今年はいい一年だったと思う。職場の人間関係も改善されて、割と前向きに仕事に取り組むことができた。周りの人間って本当に大事だなと思う。もちろん相変わらず根は暗いし、自虐的なのもあまり変わっていないのだけれど。とはいえ、今は仕事でもまあ前よりは頼られている気がするし、悪い気はしない。むしろ嬉しい。

趣味でいうと、本を読むだけじゃなくてたまに、本当にたまにだけど小説を書いてみている。思っていたより数倍難しい。自分の中で想像する情景、人の心・行動を言葉にするのがこんなにも難しいとは思わなかった。けれど割と楽しい。体力を使うから頻繁にはできていないのは残念だけど、これからも少しずつ書いていきたい。読む方もまあぼちぼち読んでいる。かぞえてはいないけど、なんだかんだで月に2〜3冊程度は読めていると思う。もっと読書量を増やして使える言葉を増やしたいし、単純に娯楽として楽しい物語を読んだり、勉強したりしたい。自分の読みたいものしか読まないのは片寄ると思って、興味なさそうな本をたまに読んでみる。だいたい本当に興味がなくて、面白くないのだけれど、ごくたまに読んで良かったと思えることがある。視野を狭くしたくないから、これからも一応続けようかなと思う。

運動も一応始めた。週1〜2くらいのゆっくりしたペースだけど24時間営業しているジムに行くようにしている。ランニングマシンと筋トレ何種目かでだいたい1時間かくらいの運動だけど、案外気持ちがいい。人と比べなくていい、喋らなくていい運動はモチベーションが落ちない。僕は運動が苦手で、周りに自分より運動ができる人がいるとぐっとやる気がなくなる。1人でやるとそれがないからいい感じに楽しい。これからも続けて健康な体になりたい。

僕は今年28になる。そんな歳になると周りも結婚したり子供ができ始めて、羨ましさや寂しさをそれなりに感じる。でもそれはいいことだと思う。人並みに幸せになりたいと考え出す程度には元気になっているということだ。まだまだ宙に浮かんでいるような僕だけど、来年もまた生きてみようと思う。

 

おにまい

おにまいのアニメが終わってしまった。

僕の壊れていた性癖をさらに粉々にして、もうパンを作るくらいにしか使えなくしたおにまいが終わってしまった。まあ原作はpixivで読めるけれど。まひろちゃんの声を毎週聞ける期間が終わってしまう事実を受け入れることができない。受け入れることができないから僕はおにまいの最終回をまだ見れていない。僕のおにまいはまだおしまいしていない。でもそろそろ見ないと僕の体が液状化してしまいそうだ。すでに爪先とかは溶け始めている。冷蔵庫で冷やしてみたり、コーヒーを一日に1リットルくらい飲んだりして、だましだまし固めてきたけれどもう本格的に形を保てなくなってきている。こんな状態のものを見たのは去年の夏に冷蔵庫で半分水になっていたきゅうり以来かもしれない。

最近は反省してすぐに食べるようにしているのでそんなものを見ることはなかったんだが、まさか自分が溶け始めるとは思わなかった。おにまいがちびまる子ちゃんくらいずっとやってるアニメになればいいのに。

穏やかに過ごしたい

いつも心が穏やかな状態で過ごしたい。何事にも波風を立て過ぎずに、落ち着いて。別に感情を削ぎ落としたいということではない。感じるべき、というのも言葉がしっくりこないけれども、何かを受け止めてそれに対する自分のリアクションは大切にしたいとも思う。波風を立て過ぎずに、というのが僕の中でポイントだ。

今も昔も、僕は些細なことも感じ過ぎ、気にしすぎる傾向にある。そのせいで接する人の中にあるかもわからない悪意を見出したり、存在しない敵を作ったりして、そしてそれに対して怯えながら日々を過ごしていた。そのくせ、人の善意には多分鈍い、或いは疑っている。人が何かを善意でやってくれてもその裏にある自分へのない悪意を勝手に作り出してしまう。人を信用できていないんだ。感情や人の行動に対して適切な言葉かはわからないけれど、理屈でそれは善意であったり少なくとも悪意を含まないものだと分かっていても、心が勝手に相手の中に悪意を作り出してしまうというところだ。

今ここで文章にしておくことで、自分に改めて認識させたい。敵は目の前の人じゃなくて、その悪意は自分の中で勝手に生まれている。人に対する認識は自分を写す鏡だと思う。僕が、僕自信に常にある程度の悪意を持っているから人からも悪意を持たれていると考えてしまっているだけだ、多分。

子供の頃の僕は、自分に甘い、とよく親に言われていた。自分の中で充分だと思えるところが、親の期待より低かったのかもしれないのだけど、ある程度のところで自分にOKを出していた。でも僕のOKと世界の基準の齟齬が大きくなった頃に、自分への甘さを強烈に実感したのか、私か僕はかなり自分に対して自罰的になっていった。甘いところが残ったままだったから、自分を甘やかして満足いくところまでいかず、自分を猛烈にバッシングする。けれども甘い根本部分の解決はできていない。だからまた失敗して自分を罰する。これを繰り返すうちに些細な自分の行動にも自罰的になってしまった。

正直なところ、どうなれば問題がないのか、どうなればいいのか、がもうわからない。多分みんなそうだと思う、思いたい。ひとまず僕は今日も自分を律して生きていこうと思う。自分を信じられないけれど、自分を罰し過ぎずに、でも甘やかしすぎもせずに日々を過ごそう。自分と世界に対して穏やかな人間であろう。

ひとり

土曜日から今日まで実家に帰っていた。今日の仕事は休んだ。ここ最近を振り返ると明らかに精神的に調子が悪かったから。家族と犬の優しさに甘えに帰った。何をしていなくても存在が認められる、許される環境はありがたい。また、こういう場を持てている僕は恵まれているなとも思う。もちろん心の暗いところがそこにいるだけで全部なくなるということはないのだけれど、ため息の回数・死にたいと思う回数は確実に減っている。

多くの人はどこかしらの逃げ場が必要なんだと思う。それは趣味であったり、人間関係だったりと個人差はあるだろうけど。僕は残念ながらたくさんの逃げ場を持っているわけではない。趣味のゲームだったり読書だったり、声優のライブだったり、何をしていても夢中になれる時間は短くなり、暗く生ぬるい感覚は心を弱らせる。辛うじて人といる時はその感覚から多少距離を置くことができる。眠る時や、現実について考える時にはどうしても逃げることができないけれど。

僕は多分一人が寂しいんだと思う。

何もできない時はある

夕方に仕事を終え、家路についた。帰りの電車に揺られながら、昼休憩中に少しだけ読んだ小説の続きをもっと読みたくなる。僕は家で読書ができない(する気力がなくなったり別のことをすることが多い)ので最寄駅のカフェで席が空いていたらそこで読もうと思う。カフェの席が空いていたのでカバンで席を取り、注文の列に並ぶ。程なく僕の順番が来て注文をする。だがここで問題が起こる。注文の品の用意はできたがレシートが詰まってしまったらしい。スターバックスはコーヒーを頼んだレシートを見せると2杯目以降が大幅に値引きされるので、渡せないと店としてはクレームの元になるから学生と思われるスタッフも焦っている。僕としてはコーヒー2杯目を飲むような長い時間を店で過ごそうと思ってはいなかったのだが、いかんせんきがつくのが遅かったので、もうレシートをもらわないと逆に相手に申し訳がないくらいには対処が進んでいる。仕方がないのでレシートの用意ができるまで待ち、商品を受け取る。

席について本を読む。学生時代の後輩からスマホゲームの画像が送られてくるので多少雑談をしながら。コレットの『シェリの最後』を読んでいる。まだ三分の一ほどしか読んでいないし、これと言って大きな事件が起きているわけでもないのに非常に面白く読んでいる。シェリの一つ一つの行動はたいしたことをやってはいないのだが、心理描写が巧みだと思う。彼の心の動き、無気力になり、周囲に対する関心が薄くなりながらも、自分が除け者になることは気に食わない。疎外感を感じながらも社会に適応するための行動をすることには違和感を感じる。彼の孤独には共感を禁じ得ない(もちろん戦争帰りのシェリと僕では比べ物にならないが)。

 

家に帰りコンビニで買った夕飯を食べる。普段買わないものを買ってみようと思い明太子クリームパスタを買ってみた。普段買わないものは期待を超えることもあるがそれは珍しいことだよね、と想像通りの味のパスタを食べながら思う。そのあとは何もできなかった。風呂に入らないと、歯を磨かないと、ゲームでもしたい、文章を書く練習もしたい…そんなことを考えながらただスマートフォンでどうでもいい情報の中を泳いでいた。何もできないまま0時を過ぎた。緩慢な動きで慌ててシャワーを浴び、この文を書いていた。そんな日もあるよねと思いながら床に着いた。今日はよく眠れればいいんだけど。